
プロフィール
大阪営業所所属の5年間を経て、キャリアアップを目指して2005年から長崎へ。現在、半導体のマスクデータ処理業務に就いている。「異動はひとつの決断でしたが素晴らしい転機になりました」。現地ではテニスサークルの活動などを通し「見ず知らずの土地」で着実に人的ネットワークをつくり、いまや長崎暮らしを満喫。「食べ物が美味しい」こともお気に入り。またサブ技術マネージャーとして、九州エリアのアルプスエンジニアのとりまとめ、指導にもあたっている。
色々な企業、仕事と出会いながら自分のやりたいことを見つけようと思いました。
生まれ育ちは神戸で、高校まで過ごしました。その後、当時システム工学部が新設になった和歌山の大学ヘ進学しました。小さな頃から電化製品などが好きで、よくカタログなどを読んでいた記憶があり、ちょっと変わった子どもだったかも知れません(笑)。また父と兄が理系ということも影響していたのか物理が好きでしたね。
大学では光メカトロニクス学科に在籍し、光をベースにソフトや力学を始め幅広く学びました。専攻は波動エレクトロニクスです。目に見えないものが持っている力に興味があったのです。卒論は「ガス管の超音波での非破壊検査」で、ガス会社の方と一緒に取り組みました。超音波で腐食や疲弊などを調べるのですが、これは非常に面白かったですね。
同期生は大学での学問を活かし、自動車メーカーを始め、様々な分野に進みましたが、私は就職は学問とは別に考えていて、当初は医療機器に関われる分野を志望していました。ところが就職氷河期の厳しさに直面し、なかなかうまくいかず、どうしようか悩んでいたときに出会ったのが当社でした。ホームページに医療関係の派遣先もあると紹介されていて「色々な企業、仕事と出会いながら自分のやりたいことを見つけるのもいいかも知れない」と思いました。
アウトソーシングが今後伸びるという考えをもっていた大学の教授からも勧められ、両親は登録派遣ではなく正社員雇用のもとで仕事をするスタイルに納得してくれました。また当時東証一部上場を目指すという会社の勢い、安定性も決め手になりました。
社会人としての基礎を身に付けた大阪から、キャリアアップを目指して九州へ。
最初は大阪営業所に所属し、電機メーカーで国内外の携帯電話のソフト評価に携わりました。取扱説明書をもとに機能通り動くか一機ずつ評価していくわけです。社会人として初めての仕事で、周囲から教わることはたくさんありました。同じグループになった先輩方から、仕事の方法はもちろん、仕事に向き合う姿勢、意識などを身をもって教わりました。

学生気分が抜けた、という感じでしたね。また万が一、バグが出た場合などは、他部門の方とコミュニケーションをとらないと仕事になりませんでしたから、そういう人間関係の構築、コミュニケーションのとりかたなども身に付いたと思います。
職場の皆さんに良くしていただき、仲の良い友人たちもでき、仕事に不満もなかったのですが、4年目を迎えたあたりで「このままソフト評価を続けていて、自分の将来が成り立っていくのか」という考えをもつようになりました。
社内的に九州の半導体メーカーへの公募があったのは、そういうタイミングでした。ただ半導体の知識はありませんでしたから、スグに手を挙げたわけではありません。見ず知らずの土地へいくことも不安でしたし、だいぶ悩んだのです。それでも、会社のバックアップ体制や、周囲からの「本当にやってみたいなら行ってみれば」という後押し、そして自分自身の「きっと何か得るものがある」という想いが、新しいチャレンジの扉を押す力になりました。
この2年半の経験を経て「技術者です」と胸をはって言えるようになりました。
2005年4月、長崎から私の新しいキャリアがスタートしました。仕事は半導体のマスクデータ処理です。部門としては製造設計課に属し、チップサイズの変化に合わせてマスクの枠をつくり、マスクデータを作成する次工程に渡していきます。製造に直結し、ひとつの入力ミスなどで多額の損失が発生するケースも考えられる、責任が重い仕事です。
ただ、今でこそ、このように仕事を紹介できますが、当初はマスクデータを見るのも初めて、仕事の用語も初めて聞くものばかり。もう大変でした(笑)。耳にする用語をメモして、調べて聞いて、少しずつ覚えました。データ処理にはUNIXが使われていますが、コマンドや操作方法を覚えるのもひと苦労でした。また職場では部門横断的に色々な勉強会が開かれていて、そこに分からないながらも参加し、担当部署以外でのプロセスを理解するように努めました。

周囲に頼らず、一通り仕事ができるようになったのは丸1年経ったころですね。勉強すべきこと、必要な知識はまだまだありますが、仕事も任せていただき、モノづくりに参加している、という気持ちを強くもてるようになりました。長崎への異動には本当に悩みましたが、まったく後悔はありませんし、自分にとって良き転機となった決断でした。この2年半の経験で、少し胸をはって「私は技術者です」と言えるようになったかな、そう思っています。
新しいチャレンジによってキャリアアップを目指します。

勤務先の半導体メーカーの各工場には現在、約60名の当社の技術者が仕事をしています。実は、長崎工場に勤務した当社の技術者は私が一人目だったのです。今だから言えますが、そういう意味でも多少のプレッシャーはありました(笑)。現在、当社の九州エリアのスタッフは月に一度はミーティングをもち、その後、技術者たちで分野・職種別の勉強会を開催しています。私は、この勉強会の事務局的な役割も担っており、サブ技術マネージャーという立場から、後輩たちの相談にものっています。
以前は、下から付いていくのが私でしたが、今は引っ張っていく立場なんて、少し信じられない気もします。九州の技術者は、非常にまとまりも良く、勉強熱心です。情報交換や勉強会などを通してお互いに切磋琢磨し、いっそうの技術力向上をはかり、お客さまに貢献できるよう努力を続けたいと思います。
私個人としては、デバイス部分などの知識を得て、今の業務以外にも携われる技術者を目指します。新しいチャレンジは、覚えることを始め様々な苦労はありますが、それを乗り越えた後の、自らの成長を考えればトライのしがいがあります。またせっかく現在のようなスタイルで仕事をしているのですから、色々な仕事との出会いを求めながらキャリアアップをはかっていきたい、そう思います。


